藤本義一さんのこと
掲載日:2015/10/30
私が初めて藤本義一さんに会ったのは昭和40年。もう50年余り前のことだ。
その年にスタートしたテレビ番組『11PM』の楽屋に、大学を出てコピーライターの駆け出しだった私が原稿依頼に伺った。ダンディーな藤本さんの眼がキラキラと輝いていて、それだけで圧倒された。
それ以来、逝去されるまで、我が師と仰いで様々な活動を共にしてきた。
日本放送作家協会の関西支部長を30年余り勤めていただいた。その間に藤本さんの発案で実施してきた事業が幾つもある。
まず最初に手がけたのは放送作家による『ぶっちゃけトーク』の会というイベント。第一回目は昭和56年8月。来場者にトークテーマをカードに書いて提出してもらい、それを我々が引き当てて、ぶっつけでトークをするという試み。会場は満員の盛況。この日は向田邦子さんが台湾沖で飛行機事故で亡くなるという訃報が届いた日で、忘れられない一夜になった。このトークイベントはまだ現在も続けられており、間もなく300回に達する。
藤本さんが次に発案したのは次代のプロ作家養成スクール『心斎橋大学』の創設である。(昭和62年開講)。藤本さんがこのスクール構想を打ち出した。仲間の誰かが「我々が永年かかって習得してきたノウハウをそんなに簡単に教えて大丈夫ですかね?商売敵を増やすことになりませんかね?」と冗談半分に言い出した。
藤本さんが笑顔で返した。
「そんな狭い料簡は捨てようや。この関西から新しい才能を発掘し、併せて人生を広め深めていく文化の場づくりをみんなでやろう。」と、その声を一蹴した。
この『心斎橋大学』は来春に30期生を迎える。これまでに40名余りのプロ作家が誕生した。学ぶジャンルは小説、ドラマ脚本、エッセイ、童話、番組構成、映像学、取材学など。
講師の中心メンバーは関西支部の放送作家であるが、難波利三、眉村卓、田中啓文、成瀬國晴といったメンバーも加え、特別講義枠で田辺聖子、大森一樹、もず唱平、川上未映子なども招いている。
生前、藤本支部長が力を注いだ事業はまだある。平成3年から22年まで20年間にわたって実施した『関西ディレクター大賞』の表彰。「ずっと放送業界で仕事をさせてもらってきた恩返しをやろう。特に厳しい条件下で頑張っている制作会社のディレクターなどにもっと光を当てよう」と実施を決めた。
藤本さんが審査委員長になり、関西支部のメンバーが全員で選考に当たった。受賞者への正賞や副賞の賞金、表彰パーティーの費用など1回あたり150万円の経費を要したが、その運営資金は前述の『心斎橋大学』の利益を積み立てて充当した。このユニークな表彰制度は、特に若い気鋭のディレクターたちの背中を強く押した。
以上、『ぶっちゃけトークの会』、『心斎橋大学』、『関西ディレクター大賞』の3大事業は藤本支部長がいたから実施出来たことであり、藤本さんの熱意を受け止めた関西支部のメンバーの心意気が呼応した結果であった。
もうひとつ。関西支部とは直接関係ないのだが、昭和52年10月に逝去した秋田實の遺志を継ぎ、藤本さんが“村長”というポジションで活動した『笑の会』のことも付記しておきたい。
若手の漫才作家と漫才コンビがタッグを組んだ勉強会。私が事務局を担当した。藤本さんは果敢に戦略を立てた。それが上方漫才の東京公演だった。昭和53年秋の新宿・紀伊国屋ホール。ザ・ぼんち、B&Bなど若手6組に横山やすし・西川きよし、人生幸朗・生恵幸子がゲスト。翌54年秋に再びの東京公演。若手コンビを中心に横山やすし・西川きよし、夢路こいし・喜味こいしという布陣。この公演が54年度の芸術祭大衆芸能部門の優秀賞に輝いた。藤本さんの決断が55年の“漫才ブーム”の引き金になったのである。
藤本義一さんが遺した数々の語録の中で特に忘れられない言葉がある。
何人かの放送作家メンバーでプライベートで飲んでいた時、藤本さんがつぶやくように発した。
「けど…何やなあ…俺らはようこんな稼業で、ここまでやってこれたよなあ。」
私には衝撃だった。
そうなのか!直木賞作家の、全国区の、関西支部長のあの藤本義一でもそんな思いで生きてきたのか。幾多の修羅場を踏んできたはずの達人が吐いた本音だったように思う。
もう15年ほど前。藤本さんの個展で売りに出ていた一枚の色紙。どうしてもほしかった。強引に頼み込んでもらい受けた。
『蟻一匹、炎天下』。自らの名前に虫偏を付けて蟻一匹。額に入れて書斎に掲げてある。毎日眺めている。私の悲しい宝物だ。
藤本さんが逝去したのは平成24年10月30日だが、その一年前の夏に脳梗塞で倒れた。その年を越した24年の4月上旬。深夜にかかってきた藤本さんからの電話。
「俺、ちょっと元気になったぞ。大丈夫や。」あの時の会話が最後になった。
藤本さんが旅立って3年。ようやく『藤本義一文学賞』の創設を決めた。短篇小説の公募である。命日である10月30日に第一回の受賞者を発表する。審査委員長は難波利三さん。私も審査員を担当する。やっとひとつ藤本さんへの恩返しが出来るのかなと思っている。
(関西支部長)
プロフィール
古川 嘉一郎(ふるかわ かいちろう)
★1942年生まれ 立命館大学文学部卒。コピーライター、「上方芸能」編集委員を経て放送作家に。1985年 秋田實賞受賞主な構成作品:「たかじんNOばぁ~」(YTV)
著作:「なにわの急ぎ星・ドキュメント林家小染」「少年の日を越えて・漫才教室の卒業生たち」「横山やすし・夢のなごり」